墓友と倶会一処

以前、プチ法話会で聞いた話。

「風呂に入る前に、娘にこれから風呂に入るよと電話するんよ」

なぜかというと、一人で暮らしている彼女にとって風呂は危険な場所だからだ。
無事に入り終われば、また電話する。

なるほどなと思った。
すると、同様なことをTVで言っている人が居た。
それは、遠方の友だちにだ。
つれあいに先立たれたり結婚をされなかったりといった、いろいろな事情で、
独居のお年寄りの方が、電話で友だち同士で助け合っているという。

そして、「私たちは墓友なのよね」
という。
桜の木を墓標にした会員制墓地「桜葬」の会員同士なのだ。

この「桜葬」は墓の継承を前提とせず、遺骨を直接埋葬して自然に還し、
年に一度、合同祭祀をしている。
そこに集った方々の生前からの血縁を超えた「結縁」による「ゆるやかな共同性」
「私たちは同じ墓に入る墓友」
という絆や信頼、安心感に引かれて多くの方が会員になっているという。

合同祭の時に、顔を合せ、
「あっちに往ってもよろしくね」
と笑い合っている。
そして、そのつながりは、最初に書いた日常の連絡へと発展していく。

「倶会一処」ということはこういうことだったのだ。