ミャンマーの英知=仏教

TVを見ていたら、途中からだったが、ミャンマーの子どもの得度式の様子を写していた。
 
この子の父母が、自分の店で15年間懸命に働いてためた100万円を得度式に使うのである。
得度式に100万円も必要なのかと思っていたら、
他の貧しい子どもたち(親戚)にも出家してもらうための経費だという。
ざっと見ただけで、20人以上いたようだ。
この父母は子どもたちの得度式の様子を見て幸せそうだった。
 
出家する子どもは、「緊張するが嬉しいし、幸せな気持ち」と話し、
母は、「息子のために寄進したことの幸せは、お金には代えがたい価値がある。無事に得度式を終えたことで、夫婦安心して幸せに生きていける」
そして、父は「お金はなくなったが、嬉しく思う。迷いのない涅槃の世界へ一歩近づけたから」
と、自分自身も出家してしまう。
 
ミャンマーではこれが功徳を積むことであり、それは来世を考えることであり、
結果として貧富のない社会をつくりだしている。
 
父チョーアウンは、
『「お金によって幸せは得られるが、それは短期的なもの。人生の幸せとは言えない。功徳は生涯を通じての幸せを得ることになる」と話した。
功徳によりチョーアウンが得たものは、幸せを感じて生きていけるという心の安寧だった。
1000年前にバガンで育まれた英知。
多くの人が功徳を通じて富を巡らせ、幸せを分かち合う。』
 
バガンが栄えた11~13世紀、西ヨーロッパでは封建社会が成立していた。
厳密な主従関係が築かれ、国王や領主など少数の有力者に富が集まっていた。
人口の大半を占めた農民は「農奴」と呼ばれ、自由を制限され重い税が課されていた。
それに対しバガンでは、功徳を積もうとする行いにより富が回り続けた。
その結果、貧富の格差が生まれにくい社会が実現していたという。
伊東教授は「格差が常に是正されていく社会ができあがっていく」と話した。
当時の様子を記したバガンの碑文には「バガン王国は、あらゆる王国の中で最も住み心地がよい。
住民たちは危険を知らず、苦痛のない生活を楽しんでいる。
民は豊かで収入は莫大。
この国は神々の国より望ましい」と記されていた。』
 
そういえば、バリの人たちも収入の数パーセントを寺院の祭りのためにつぎ込んでいた。
 
これこそ「グローバル資本主義」を乗り越える英知なのだ。