どうせ死ぬ身?

親父の外泊のため車いすを積み込んで帰る。
2泊の予定。
帰れたことを喜んでいて、おふくろに迷惑を掛けまいと、トイレに自分で行こうとするのでかえって大変になる。
さらに、おむつをしっかりと上にあげていなくて、布団を二回濡らしてしまった。
 
そういう様子を見ていると、こうなりたくないと思う。
それでつい、そうならない方法を考えてしまう。
それは、自分自身の将来のことではない
それを今すればいいという方法だ。
 
その方法とは
まず、なにごとも自分の思い通りにいかないということを自覚すること。
人生は自分の思い通りにいかないことはよくわかっている。
そして、最後に自分の身体も思い通りにいかないということを知る。
 
自分の身体すらも自分の思い通りにいかなかったとすると、
今まで思い通りだと思っていたのは何だったのか。
それは思い通りに動かしていると思っていただけということだ。
親父は今それを修行しているだけなのだ。
 
思い通りにいかないということを自覚するということは
予定通りに生きて、予定通りに動けなくなって、予定通りに死んでいく
そう思えと言うことだろうか。
 
断じてそうではない
親父の最近の口癖が「どうせ死んでいく」という言葉。
これを聞くと、情けなくなる。
だから感謝の言葉も出るが、それはいのちを大事にしないことへつながっていく。
予定通り死ぬのは生まれた赤ん坊でも同じだ。
今まで懸命に生きてきて、見るべきものは見て、聞くべきことは聞いて心を残さずに
というのは確かにあると思う
でも、それはどうせ死んでいくからではない。
永遠に生きるためなのだ。