親父が遺影にと準備したものがある。
これがとても若いころの写真。
最近の姿を見ている人には違和感を感じるかもしれないと思う。
ずっと昔の写真ではないか、今は違うと
でも、その時の姿も本人なのだ。
認知症が進んでいる場合、これが本来の姿だとは思わないであろう。
同様に年老いた姿を本来の姿だとは思わない。
でも、本来の姿とは何だろう?
遺影で本人の姿を偲ぶときは、一番活躍していた時が良いと思う。
でも、それぞれの時代のそれぞれの姿があって、ここだと決められるものではない。
子どもの頃の写真を本来の自分だとは言わないだろう。
つまり、どの写真をとっても本来の自分ではない
姿をもって私とは言えない
ではどこに私がいるのだろうか
形をもって私とはいえない
そのことが不思議に思えてしまうのはなぜなのだろうか