輪廻転生について

昨日は老人会の彼岸会の法要でお経とお話をした。
ここの所、ずっと考えていることは「輪廻転生」
そのことを初めて取り上げた。
 
「諸法は無我なり」
普通は、我があると考えるから迷いや苦が生じると読む。
ところが、無我だからこそ輪廻転生するとも読むこともできる。
この場合の無我は縁起によって起こる世間に左右される我である。
 
「これ起こる故に彼起こる これ滅する故に彼滅す」・・・「諸法無我
「これある故に彼あり これ無き故に彼無く」・・・「諸法無我
「無明によって行あり、行によって識あり・・・・有によって生あり 生によって老死あり」・・・「12縁起」
無明無きによって行なし 行無きによって識なし・・・有なきによって生なし 生なきによって老死なし」
 
だから、後者の読みもありうる。
そして、何よりも「私」という落在した特別の存在は否定できない。
仏教は「私」をあくまでベースにする個人主義である。
とすると、無我だから輪廻転生する読み方の方が私には納得できる。