無知と愚者の自覚

オスのモズがメスにエサをせっせと運んでいる。
まだ雛が生まれないかとやきもきしている。
 
無知と愚者の自覚について改めて書き留めておく。
 
無知の知』こそが唯一の人間の知恵である。
神のみが知恵あるものであり、神託の意味は、
「人間たちよ、お前たちの中では、ソクラテスのように、自分は知恵については全く価値のない者だと自覚している者が最も知恵ある者なのだ」ということなのだ。   (ソクラテスの弁明)
 
「もしも愚者が、みずから愚であると考えれば、すなわち賢者である。
愚者でありながら、しかもみずから賢者だと思うものこそ『愚者』だと言われる。」  (真理のことば)
 
「子曰く。由、汝に之を知ることを誨えん乎。
之を知るを知ると為し、知らざるを知らずと為す。これ知る也。   (論語
 
「一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらに同じくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし」  (一枚起請文)
 
「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と
「よしあしの文字をしらぬひとはみな まことのこころなりけるを
 善悪の字しりがほは おおそらごとのかたちなり」
「智といふは願力にのせたまふとしるべしとなり」  (尊号真像銘文)
 
それぞれに深い意味を持つと同時に、これらがつながってくる。
私たちの唯一とることのできる態度なのだ。