彼等は、木の枝にある時は、拾おうともしなかった。

さっき夢の中で、今とは何か不思議に感じていた。
それを思い出そうとして書いていたら、ますます不思議になってきた。
ある時は、時間の流れの中でたまたまな時である。
だから今はいつでもであり、特別な時間ではない。
偶然的な時なのに、今が特別と感じるのはどうしてだろうか。
過去の歴史の中で生きてきた人の今を、私は想像することができる。
でも、その今は未来が存在している。
今は、未来はわからない。
未来がわからないという意味において特別なのだろうか。
ここまで考えると、この構造は「ここ」や「わたし」と同じことに気がつく。
いま ― ここ ― わたし
いつでも ― どこでも ― だれでも
過去 ― ? ― ?
いつ ― どこ ― だれ
いつでもは今を含む。
「いま」は「いつ」なのだろうか。
「無量寿」とは無限の過去と無限の未来を含んでいる。
今とは、無限の過去と無限の未来を含んでいる有時なのだ。