吉本隆明「個人と公をつなぐもの」

ここの所、経済学を学習している。
経済学は経済現象を全て全体から見ることで現象をとらえようとしている。
新自由主義経済学は、数式を使ってモデル化し現象をとらえようとする。
そこには、一人一人の生きている人の人生(労働)というものは見えてこない。
 
NHK「日本人は何を考えてきたか(吉本隆明)」のビデオを見た。
吉本が古典経済学から出発したことは知っていた。
だから、見ようと思ったのだが、その経済学のことはあまり取り上げられていたかった。
「言語とは何か」から説明していた。
 
     自己表出←→指示表出
(自分の中の言葉) (コミュニケーションの言葉)
 
言語は他者とのコミュニケーションの手段や機能ではない。
それは、枝葉の問題で根幹は沈黙(自己表出)である。
コミュニケーションよりも自己表出の方に、より豊かな世界があることの自覚である。
(マスコミに流されるのではなく)おかしいな・何か変だな・と違和感を感じることを大事にしようということだ。
 
ここまでは高度経済成長。1968年ごろから、自己からの出発は、さらに国家と個人との関係へと進む。
 
共同幻想(国家・企業) ⇄  自己幻想(個人と個人の関係)  
     ↖↘          ↗↙
     対幻想(個人と他者との関係)

  これは私と全体の間に第三項を入れている。
 批判もあってとても面白かったが、一番感じたのは、
吉本は常に個人から出発してまわりを考えているということだ。
上の概念も常に個人をもとにしている。
うろ覚えだが、経済学についても労働とは何かから出発している。
私の労働はどういう意味を持っているのかと追求したのだ。
 
大衆消費社会をどうとらえるかについては、
彼は技術者出身らしく科学に対する絶対的な信頼幻想があったと感じる。
でも、「個人の方が国家や公よりも大きくて強い」という言葉は勇気を与えるものだ。
 
国家=共同幻想に対して、第三項の対幻想を取り上げたのも、
個人と全体の間にちゃんとあるものを自覚したかったからだろう。
国家と個人との関係・・・国家は共同の幻想である