漱石の個人主義

私が「経済の話」を聞いている尊敬する人生の先輩が尋ねてこられた。
 
いろいろ話しの中で、漱石の話になった。
例えば、「こころ」は、乃木将軍の殉死に対するアンチテーゼではないかと言われる。
忠義に対して、女にほれた友を裏切ったという極めて個人的なことで自死する先生のことを書いたのは、
当時の世相に対する大変勇気ある言動であったと。
 
漱石は、イギリスへ留学して、西洋文明との葛藤の中で、自身の個人主義に到達する。
例えば、文芸はあくまで個人のもので、国家全体でその傾向を縛るようなものではないとか。
これは、「他人本位」に対する考え方で、他人の考えに左右されるような行動を否定している。
 
他人本位に対しての自己本位なのだが、これは自分勝手という意味ではない。
自分自身のこころに立脚して、ものごとを観るという行動のことをいう。
周りに迎合したり、上から言われたことを無批判に実行してしまうことに対する批判なのだ。
 
でも、自己本位は他者の考えを聞かないと思われている。
漱石の自己本位は、学習の過程なので、常に他者から学ぶ。
その方法は体解で、感性、身体で感じて学ぶ方法だ。
だから決して自分中心ではなく、他者中心でないだけなのだ。
今まで使ってきた言葉でいえば、ハラスメントを受けないということだ。
 
例えば、自分の周りのすべての事象をどうつかむのかという点ではそのまま。
つまり、「則天は去私なり」となる。
天に則し、私を去るのではない。
天に従うということは、我(執)を捨てて素直な心を開くということ。
私を捨て、命を捨てることでは決してない。
 
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親指を丸くしたほどの小さな柿で、ヘタの所に耳が出ている。
昔話に柿の木が、法を聞くために耳をつけたとある。
法を聞くには、耳が無くてはならない。
耳とは、心を開くことである。