雨の中、叔父の納骨が終わった。
この叔母の句のように、
お浄土で祖母が叔父の法話を聞いているにちがない。
叔父さんにはお育てにあずかった。
自分の疑問や思いを一番気軽にぶつけられる存在の人だった。
思い上がりや、勝手な解釈を遠慮なくぶつけたものだった。
今思うと、恥ずかしい。
でも、ちゃんと聞いてくださった。
やっとそのお育てを感じることができるようになった。
今、叔父の言葉は本となっている。
それを読むと、深い感動に包まれる。
大阪から長い道のりだったと思う。
毎年、ふるさとを尋ねられた。
私のふるさとも同じである。