「コピペ問題」

 連休中、ずっと家で数学の本を読んでいた。
さっき、子どもたちも帰ってしまった。
 
○「コピペ」について
コピペの問題について、マスコミで取り上げられている。
デジタル化以来、簡単に文章をコピペできることから起こる問題と、
学問では独創が大事だから真似ではいけないという風潮があることについて、
混乱が生じているのではないか。
 
独創というのは何も無い所からオリジナルなことを生み出すことではない。
それまでの、先行研究を真似しながら、そこから新しい一歩を踏み出すことだ。
どんな独創的と言われる研究も先行研究を無視しては成り立たない。
つまり、真似をすることは悪いことではない。
私は、「真似の中に独創がある」と言ってもいいと思っている。
 
どんな素晴らしいアイディアでもそれが使われないと意味がない。
同時に、その素晴らしいアイディアは現代社会ではすぐに商品と化す。
(もしかしたらこちらの方がより問題かもしれない)
 
私自身もコピペを多くやっている。仏教はコピペだらけである。
そもそも仏典からのコピペがないと仏法は成立しない。
コピペに依らずして自身の考えを述べることはできない。
その場合、コピペは当然であるが、コピペの出典を示すことがルールとなる。
 
しかし、先人の考えと自分自身の考えとの区別ができない場合がある。
また、他の人の考え方に共鳴する場合がある。
これは、どう考えたら良いのか。
これについて、次のニュースをコピペしながら、
私の思っていることを編集してみようと思う。
 
○編集という創造的な行為
大阪市立大大学院の増田聡准教授(メディア論)は世間でのコピペの横行を逆手にとるように、数年前から学生に「完全なパクリレポートを作成せよ」という課題を出している。書籍や新聞、ネットなど10以上の出典から一字一句変えずに切り張りし、かつ意味の通る内容に仕上げなければならないため、実は難易度が高い。
増田准教授は「オリジナリティーは、外的制約との対峙(たいじ)の中で初めて立ち現れる。自分の意見は世間に散らばった言葉からできているのだと、身をもって知ってもらいたい」と語る。
朝日新聞 神庭亮介 2014年5月6日からのコピペ)
 
この課題は、コピペ問題と独創とのジレンマを、編集という行為を通して解決する方法だと感心した。このやり方はとても面白い。オリジナリティーの源がそこにあることを示している。
コピペを駆使して、オリジナルなレポートを作ることは、相当難しいことだと思う。
そして、それが独創ということだと思う。
編集をするという行為の中に、理解と再構築が含まれ、
だからこそ、オリジナルなのだ。