浄土和讃の「ホフシン」

正信偈浄土和讃の左訓はカタカナである。
その左訓を教本に書き込んでいる。
その中に「ホフシン」という文字がある。
 
解脱の光輪きわもなし
(解脱というは覚りを開き仏になるをいう。
  我らが悪業煩悩を阿弥陀の御光にて摧くという心なり)
光触かぶるものはみな
ヒカリヲミニフルヽトイフコヽロナリ(光を身に触るるという心なり)
有無をはなるとのべたまふ
ジヤケンヲハナルヽトナリ(邪見を離るるとなり)
平等覚に帰命せよ
アミダハホフシンニテマシマスアヒダビヤウドウカクトイフナリ
阿弥陀は報身(法身)にてまします間、平等覚と言うなり)
 
この最後のホフシンは「法身」なのか「報身」なのか迷ってしまった。
法身「ほっしん」と報身「ほうじん」であるが、当然意味は異なる。
阿弥陀仏は報身であると思われるが、絵像の裏には方便法身尊像と書いてある。
名畑応順師の「親鸞和讃集」には法身となっている。
これは、調べてみる必要があると思っている。
 
わからないことばかりで、わからないまま過ごしてきた。
あとどれくらいかかるか知らないが、少しでも本当に近づくことが出来ればいいなと思う。