「平家物語の再誕」

雪が降り続いている。もう30センチぐらい積もった。
これは全国的な現象。
1月に降らなかったけど、ちゃんとつじつまがあう。
 
平家物語の再誕」 大野雄一著を読む。
平家物語は念仏の宝庫だから、昔から親しんできたが、
こうやって「平家物語」の読まれてきた歴史を概観すると、違った日本の歴史がみえてくる。
 
この本は、平家物語という一つの軍記物語を通じて、
日本の近代から現代までの歴史を見直している。
 
明治から平家物語はいろいろな読み方をされる。
平清盛木曽義仲が英雄視されたり、平家物語が民族の叙事詩とされたり、
平家物語の中の武士道が強調されたり、日本精神という民族主義的な読まれ方がされる。
 
明治の浪漫派が、やがて後期浪漫派となり、そして国家主義化していく様子が
平家物語を通してとてもよくわかる。
 
1924年、大正デモクラシー(赤い鳥・児童の村小学校など優れた教育が行われる)
を抑える(弾圧)するために、国が臨教審をつくり、
「教育の目標が忠良な臣民を育成すること」として
兵式体操や国体の本義を導入するのが1924年。
 
これは突然のことではない。
その前1910年に、文部省が新しい歴史教科書として南朝北朝が並立された教科書がつくる。
これに対して、マスコミや世論は猛然と反対ののろしをあげる。
正しい歴史教育が行われないから大逆事件が起こったと新聞も攻撃する。
この世論を受けて、政府は学問・教育の場に介入し、責任者の喜田博士を罷免し、
教科書を「吉野の朝廷」と修正する。
国家権力の学問・教育の場への直接介入のはじめである。
 
1928年からの満州事変に至ることを考えると、それまでに国内でなされていたことと
符合してしまう。
この時には、文部省の中に思想局ができ、教員の思想統制が強力に推し進められる。
平家物語もののふの文学として、忠君愛国、死の超克の物語として取り上げられる。
 
そして、何よりも面白いのは、戦後の国文学の学者たちの行動である。
彼らはそのまま、平和国家・文化国家のための平家物語と読み変える。
 
雪はまだ降り続いている。