「特別秘密保護法案」

蓮如さんの領解文の一節
「今度の一大事の後生御たすけ候と、頼み申して候。」
 
この「頼む」は依頼ではない。信順であり、「まかせる」ことである。
が、それは自分をさしおいてまかせるのではない。
逆に、自分自身の未熟さを知ることであり、
未熟な故に他の力を借りるしかないことを知ることである。
 
そこには、自分自身のちからの限界を知るという謙虚さがある。
わからないからこそ、謙虚に自分をさらけ出せるのである。
 
今、「特別秘密保護法案」について考えている。
私の気持ちの中に、「政府におまかせ」という雰囲気があるのではないか。
私にはわからない、専門家が判断してくれる・・・
というような。
 
実際に複雑な問題が多すぎる。
しかし、先の信順がもつ自分自身の認知のことは、全ての人に当てはまる。
つまり専門家にもだ。
専門家だからこそ自分自身のちからの限界を知っている必要がある。
自分のちからの限界を知らない人にまかせることはできない。
 
そのためには「情報公開」は原則でなくてはならないと考える。
説得のために小出しで出すものではない。
本当の知恵はそこから出てくるものだから。
 
しかし、現実にはすでに隠されていることの方が多い。
今回の法案のことで、そういうこともわかってきた。
 
だとすると、今回の法案で、逆に情報の公開を求めていかなければならない。
政府には情報の公開をする義務があり、
それが専門家としての誠実な義務であると。
 
与党の国会運営はあまりにも拙速である。