正像末和讃

昨日に続いて「正像末和讃」を取り上げる。
 
1257年(正嘉元年 85歳)草稿本「正像末和讃
「罪業モトヨリ所有ナシ 妄想顛倒ヨリオコル 心性ミナモトキヨケレハ 衆生スナハチ仏ナリ」
 
1258年(正嘉2年 86歳)顕智書写本「正像末和讃
「罪業モトヨリカタチナシ 妄想顛倒ノナセルナリ 心性モトヨリキヨケレト コノ世ハマコトノヒトソナキ」
 
聖典には後者の顕智本の方を載せてある。
最初に両方を読んだとき、前の方は誰かが作ったものではないかと思った。
だから、最初に前の句を作られ、そして、訂正されたことに興味を持った。
調べてみると、なんと、平家物語にこの前の和讃が引用されている。
 
平家物語清水寺炎上」の巻。延暦寺の衆徒が清水寺を焼く場面である。
『・・・爰に、無動寺法師に伯耆竪者乗円と云ふ学生大悪僧の有りけるが、進み出でて僉議しけるは、「罪業本より所有なし、妄想顛倒より起こる。心性源清ければ、衆生即ち仏也。只本堂に火を懸けて焼けや者共」と申しければ、衆徒等「尤々」と申して火を燃し、御堂の四方に付けたりければ、煙、雲井はるかに立ち昇る。
感陽宮の異朝の煙を諍ふ。一時が程に回禄す。あさましと云ふも疎か也。 <http://www.j-texts.com/heike/engyo/ene1.html>
 
この平家物語延慶本であるが、この和讃を親鸞聖人の和讃からの引用だとすれば、まさに、この焼き討ちの事例が先の草稿本を改訂された理由がはっきりする。
この二つの和讃は同じことを述べながら、結論は全く異なっている。