生きていくための確率論

金曜日の「数学教室の」最後は、質問や意見や感想が出る。
 
「確率は数値だけれど、その人にとって起きてしまった時は確率ではない」
という意見などが出た。
数学の確率の数値は生きていく上で、
数値の多い方を選ぶ方が合理的であるということを前提にしている。
回数が多ければそれも成り立つが、
少ないチャンスでの選択は確率で選ぶ人はそんなにいないだろう。
 
「私は飛行機に乗るときに、必ず落ちるものと考えて乗る」
という意見が出た。
「でもそれだと怖くて乗れないのでは?」
「落ちるという体験もめったに会えないから面白いかもしれないと思って乗る」
 
そんな会話が飛び交って面白かった。
 
昨日、可茂からの帰りに、東海北陸道へ合流するところで、事故があった。
たぶん逆走してきた車とぶつかったのだろう。
その時に思ったのが、
時間がもっと早かったらぶつかっていたのは自分かもしれないということである。
この時に、「必ず落ちるものと考えて・・・」という考えが頭に浮かんだ。
車の事故は、
「乗ったら必ず起きる、起こす」
でも、たまた様々な要因で事故が起きなかった。
それは、まさにたまたまで、時間がほんの少しずれていただけに過ぎない。
そう考えると、事故に合わなかったことは、私の力ではない。
だって、「たまたま(縁起)」は私の力の及ぶところではない。
自分のできるところは全力を尽くすが、それ以外の所は「おまかせする」しかないのだ。
 
そうすると、
無事に帰ってきたことがとても有難いことになる。
 
車に乗るとき、「事故は必ず起きるもの」と考えて乗るという選択がある。