神の数式

 
日曜日の夜9時、「半沢直樹」と「神の数式」が重なりました。
私は最終回なので半沢直樹を見て、
神の数式はビデオに撮っておいて23日の朝見ました。
「100倍返しって仏教から言えば良いの?」
という妻の言葉を聴き流しながら夢中で見てしまいました。
 
私とは違い、「神の数式を見た方が、連研の講座「めぐまれる信心」を聞て、
神の数式の中のある式と親鸞聖人の信心がふっと結びついたと言われました。
このことがとても心に残ったので書きとどめておきます
 
神の数式には一般相対性理論の難しい数式が出てくるのですが、
それは理解不能なので、ニュートン万有引力を使います。
万有引力二つの物質の質量(M,N)に比例し
距離(r)の二乗に反比例するという法則です。
 
式で書くと、F=G(MN)/(r^2)です。(一般相対性理論ではr^3
理論的には、二つの物体の距離を限りなく近づけると、0になります。
そうすると、1/0=∞となります。
現実には距離が0になることはありませんが、
ブラックホールのように距離が無限に近づくことも式からは予想できます。
 
この0と無限の関係が「恵まれる信心」に似ているのではないかと語るのです。
 
私はそのお話を聞きながら、歎異抄の二条を思い浮かべました。
「念仏よりも他に救われる道があるのではないか」
「念仏が本当に正しい方法なのか」
という問いに対して御開山は次のように答えます。
「念仏以外の修行によって成仏できるのなら、
念仏を選んだことを後悔するだろうが、
自分は念仏以外のいかなる修行をしても成仏できず
地獄に落ちるのは確実である。」
 
このことは、r→0に当たります。
つまり、私には他に無い。絶対的な地獄である。自分の力は無である。
 
「ゆえに、念仏で地獄に落ちても後悔はしない。」
 
先ほどの式でいうと、
r→0 だから 重力(引力)=はたらき=1/r→無限
 
つまり、自身は0であるがゆえに、はたらきは無限である。
「後悔しない」という言葉の中に仏や法然上人に対する絶対的な信頼があり、
力強い言葉として私たちに響くのではないか。
 
このことは、パスカルの賭けを連想させます。
 
信心は理性的に証明できるものではないということでしょう。