「権力の差」と「能力の差」

LINEとフェースブックの違いはいろいろあるが、
LINEは閉じているところが特徴の一つである。
学校の中の閉鎖的なグループ関係をそのままネット上に持ち込める。
ということは、いじめもネットに持ち込まれ、四六時中縛られることになる。
 
昨日、ネットゲームについてとても詳しい人に話を聞いた。
今までは、オープンで誰とでもチームを組んでやれたが、
最近では、現実の友だちとチームを組んだり、
または、昔の一人でやるゲームが復活しているという。
 
前者はそのチームの中でアイテムをめぐってトラブルになることもあるという。
アイテムはゲームのシステムなのだが、
そのシステムはそこに参加している人にとっては社会制度である。
その社会制度は参加者にとって権力として働く。
 
以前、「スクールカースト」を、子どもは「権力の差」ととらえ、
大人は「能力の差」ととらえていると書いた。
ネットゲームの世界はアイテムへの課金ということを基本としている限り
能力の差は金の差であり、かける時間の差となる。
これを子どもたちは権力の差と感じ取っているのかもしれない。
 
後者の昔の一人でやるゲームの復活だが、これもクリアした時間を競う。
それを動画で証明しているという。
どうやら、目立ちたくて広げる方向と、興味関心の一致する仲間とつながる方向は
求めることが異なっているのだろう。
 
と考えると、このサイトは何のために書いているのか振りかえらざるを得ない。