フジの花と耳を傾ける姿勢

埼玉の叔父がずっと前にわざわざ持ってきたフジが咲いている。
おふくろの話によると、もっとたくさんあったらしいが、だんだんと枯れたらしい。
最後に残った木だ。
 
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家の犬はもう16日間、食べていない。
水だけを飲んでいる。
苦しいとかつらいとかは言わないが、きっと苦しいのだろう。
一か月前の散歩はさっさと歩いたのに、今は歩くのがやっとだ。
 
人間様の方は、痛い、もうだめだ、寝たきりになる・・・といろいろ言っている。
 
昨日の中日新聞には「暴言 自浄なき列島 批判は「外圧」頼み」
と題して、最近の政治家の暴言(妄言)についての記事が出ていた。
(1)なぜ暴言が出てくるのか
(2)なぜ外圧でしか焦点にならないのか
(3)改善策は
とまとめてあった。
 
田舎にいて、日本の状況もあまりわからない。
一番わからないのは、マスコミに出てくる人以外の人々の考えだ。
わからないから、ネットや新聞やテレビを見る。
でも、それはさまざまな人々の意見だろうか。
結局、強くいったものの意見だけではないのだろうか。
 
意見は変わってくる。
いろいろな人の意見を聞いて、だんだん自分の意見がはっきりしてくる。
その場合、黙っている人がいろいろな意見をもっと語り会えるような場が必要だ。
そして、耳を傾ける人がいることがもっと必要だ。
この自分をいたらないものとして、耳を傾ける姿勢こそ、この列島に住んでいた人の
もっとも誇るべきものだった。