経験の大切さ

体験しただけでは経験とはならない。
単にやっただけ。
経験はそれの意味を体得することをいう。
 
昨日は、組内での親鸞聖人750回の大遠忌に出勤した。
一言では言い表せないが、あえて言うと、まさに体験が感動となった経験だった。
 
浄土の土徳という言葉がある。
浄土にはその場に徳を働かせるはたらきがあり、それはまるで磁場や重力場の様なモノである。
その土徳を明宝で感じたと言えばいいだろうか。
その経験は貴重なものだった。
 
最近モノづくりをしている。
手間がかかるが合間を見つけて作っている。
最初は一個ずつ作っていたが、部品を多く作ってからやることにした。
すると、一個ずつ作るよりもはるかに早い。
工夫もするからずっと早くなる。
大量生産を考えた人たちは、すごいことを発見したと思ったに違いない。
私も経験を重ねるということは、こういうことかと了解できた。
 
作っているものはフラーレン
炭素原子は60個。
まだ49個しか作っていないが、形はできた。
イメージ 1
六角形と五角形の組み合わせで、閉曲面にできる。
この分子は理論的にできることが予測されていたが、自然界にもあるという。
炭素は4価だから、腕が4本ということだが、この場合は3本の腕になる。
どこかで2本が重なっているのだ。
きれいな形である。