「念仏するを聞くと申すは、我れ称えて我が声を聞く事に候や。」
この弘海師の問いに、香樹院徳龍師は応えます。
「我が称える念仏と云うもの何処にありや。
称えさせる人なくして、罪悪の我が身何ぞ称うることを得ん。
称えさせる人ありて称えさせ給う念仏なれば、
抑(そもそ)もこの念仏は、何のために成就して、何のためにか称えさせ給うやと、
心を砕きて思えば、即ちこれ常に称えるのが、常に聞くのなり。」
この言葉は、弘海師の心を打ち、しっかりと受け止めます。
「称えさせ給うは、助け給はん為めに、一声をも称えさせて下さるることよと思えば、
それより称えることに就いて、尊く称えさせて下さるる身となりしなり。」
そして、この言葉は弘海師にとって忘れられないこととなり、いつも耳に残っていました。
このこと今に耳にありて、忘るる能わず。