悲しさと悲しみ

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雪は降り続いています。
量は多くはないのですが、どうしても屋根からの雪が山のようになります。
 
 
八幡に帰ったら、かっての教え子が亡くなったという知らせが届いていました。
 
最初に浮かんだのは後悔でした。
私は何人もの教え子を亡くしました。
その人たちに何もしてやることができなかった、という私自身の無力感です。
でも、それは私の傲慢だと思い直しました。
 
次に浮かんだのは悲しみです。
死はけがらわしいものでも、否定されるものでもありません。
人には必ず訪れるものだからです。
お年を召された方の場合は、その生涯を生き抜いた見事さをたたえ大往生と言ったりします。でも、それでも、残された方たちの悲しみは測り知れないものがあります。
 
ましてや、彼女は若い。彼女のさみしさや苦しさを思うと出てくるのは悲しみです。
それは量れないものですが、その悲しみが伝わってくるのです。
8年前のさまざまな記憶として。
 
その記憶をたどりながら、彼女が生きた足跡をも同じようにたどれないかと
あがいています。
それを少しでもたどれないかと、今夜の通夜に参加する予定です。