この曇鸞大師の問いにどう答えるのだろうか。
曇鸞大師の答えは、意外にも名が月であるというものであった。名号は名ではなく月、つまり法(真理)であるというわけである。
問いから言えば、月をさす指(名号)が闇を破ることができるというわけである。
これを身体との関係でとらえると分かりやすい。その名や音声が身体に具体的な作用をするということだ。これは、語というものにもっと大きな意味を持たせたものだろう。指し示すはたらきとしての語ではなく、その語自体がはたらきを持つ。
そういえば、言葉は私たちの身体に大きなはたらきを及ぼす。言葉一つで人を殺すことも生かすこともできる。
曇鸞大師は、名号をそうとらえ、名号はまさに名となった仏ととらえたのだ。