指月の譬

 
龍樹菩薩の大智度論に「指月の譬」がある。
 
人の指を以って月を指し、以って惑者に示すに、惑者は指を視て、月を視ず。人、これに語りて、『われは指を以って月を指し、汝をしてこれを知らしめんとするに、汝は何んが指を看て、月を視ざる』、と言うが如く
 
これは、言葉と「そのもの」との異なることを示している。
この譬はとてもわかりやすく、しかも深い意味を持っているので、いろいろな所で使われている。
 
問うていう。名はものがらを示すことばであって、 指が月をさし示すようなものである。 もし仏の名号を称えて、 その人の願いを満足させることができるというならば、月をさす指が闇を破ることができよう。 もし月をさす指が闇を破ることができないならば、 仏の名号を称えても、 またどうして、よくその願いを満足させることができるであろうか。
 
この曇鸞大師の問いにどう答えるのだろうか。