ダライラマ法王と科学者との対話

 ダライラマ法王が日本の科学者との対話に臨んだ。
その一つ一つの対話の内容も面白かったが、最後に科学への宗教からのメッセージを述べられている。
その一つ一つの言葉が、胸を打つ。
最後に、良識+道徳+科学を、普遍的で人類に語りかけるちからを持ったものとしての希望を語られている。
 
人間性を平和に変えて行くには、力でも国連決議でもなく(シリアをみていても分かるだろう。国連は無力だ)、人が心の中に平和をはぐくむことだ。一人一人が心に平和をはぐくめばそれが家族に及び、国と国との関係にも及んでいく。
 
われわれ年寄りは二十世紀の遺物だ。もうすぐこの世からバイバイするだけだ。二十一世紀は一人一人が心に平和をはぐくむような世界にせねばならない。それはわれわれ老人ではなく、ここにいる若い人たちの責務だ。
 
かつて広島で開催された平和集会に参加したとき、みな平和を祈っていた。祈っているだけでは平和はこない。実際行動する(自らの心を平安にする修練をはじめる)ことによってしか平和は実現しない。
 
怒りや嫉妬や執着といった悪しき性質を我々の心から取り除くだけではまだ足りない。、智慧を働かせて、分析的な瞑想(観)を行い心を陶冶していくのだ。
 
禅宗のようにただ座っているだけではいけない。ちゃんと〔論理的な推論によって〕認識対象を分析しなさい。
 
科学者こそ、この分析ができるはずである。宗教は個々の文化に根ざして発達してきたので、人類共通の普遍たりえない。しかし、良識・道徳・科学には人類に普遍的に語りかけることができるのである。」
 <http://shirayuki.blog51.fc2.com/blog-entry-642.html> [白雪姫と七人の小坊主達]から
 
「一人一人が心に平和を育むような世界をつくる」ことに関連して、
もう一つ、これはダライラマではなく、亡命政府の大臣の言葉。
 
チベット問題はただの政治問題ではありません。チベット文化、民族の生き残りをかけた問題なのです。
 
国際社会はチベット問題をどうみているでしょうか。多くの人が平和を口にし、原理主義テロリズムへの反対の姿勢を示します。われわれがこれまでやってきた非暴力についても国際社会が認めてきたことです。私たちにとって非暴力とは政治的な戦略ではありません。我々の伝統であるチベット仏教の基本的な思想に基づいた原則であり、物事を根本的に解決する方法として採用しているものです。非暴力がたとえ効率の悪い戦い方でも、すぐに結果がだせるものでなくとも、我々がそれを続け、その意味を国際社会が理解してくれることが重要なのです。
 
海外のマスコミからよくこう聞かれます。「非暴力をつらぬいても結果が出ていないではないか。他に選択肢があるのか」と。私たちは結果が出る、出ない、支持が得られる、得られないなどを基準に非暴力を採用したわけではなく、我々の文化の原則に忠実であり、根本的な解決をもたらすが故に採用しているのです。真実・正義を求めて非暴力をつらぬいているのです。
 
非暴力・不服従は、ガンジーキング牧師が有名だが、チベットの亡命政府は、原理主義テロリズムを否定し、非暴力を文化として政治行動の指針に取り入れている。
この女性大臣がこのように述べる志の高さこそが、本当の政治なのであろうと感じる。