自己実現をするのではなく、社会実現をする

ずっと考えていることがある。
自己実現をするのではなく、社会実現をする」ということ。
 
これは、坂口恭平さんの言葉だが、
私たちは関係性の中で生きているので、
自己実現といっても、それは関係性の中で行われる。
関係性というのは、周りとの関係の中で立ち上がってくるので
自己実現は、当然、社会実現とならざるを得ない。
 
それを自己実現と言い、自己実現が大事だと思わせる何か。
それが、誰かを苦しめているとしたら、
私たちが関係性の中で生きているということを忘れさせるモノだ。
仏教の言葉でいうと、
私たちが縁起的な存在であることを自覚させずに、
孤独感をますます助長させているモノということになる。
そのモノ(コト)は変えられないと言い切る。
 
そんなモノを探すことよりも問題は、社会実現の仕方だ。
自己実現はしやすいけれど、社会実現となると無理だ・・・。
だって、私たちには社会実現のスキルがない。
金もない、コネクションもない、権力もない・・・
 
そう思っているから、ますます、無力感を感じ、どうせ社会が悪いから
仕方がないと思ってしまう。
坂口さんの言葉でいうと、安全地帯から批判するだけなのだ。
 
自分の身体で感じる環境を広げること。
数学的にいえば、環境を拡張すること。
身の回りの環境を見直すこと、おかしいと思ったら考えること、
疑問を問いにすること。
そして、問いを誰かにぶつけてみること、
そうすれば、誰かもその問いを彼自身の問いにするかもしれない。
問いを共有することは、共に考えることだ。
 
仏国土とはそういうモノかもしれないと感じ始めている。