方便と真実

 
方便とは、物事について導く・説明するための手法のことで、真実でないが有益な説明等を意味する場合もある。
方便と真実とは矛盾していない。
 
親鸞さんは、「真実によって方便を生じ、方便によって真実を出す。これは分かつことができないが、同じものだともいえない。そこで、この二つを≪法≫という言葉でまとめる。」と言われる。
それを知らないと自利利他のはたらきをすることができないとも言われる。
 
「真実は無相(姿や形がないこと)である。」つまり、真実は言葉や心でおしはかることのできないことをいう。そうすると、私たちは真実をわかることができないことになるが、親鸞さんはそこに方便を入れて、真実と方便(言葉)の密接な関係を示し、それを知ることが自利と利他の根本であると言われる。
 
「真実には、姿や形がないからあらゆる相となる。無知であるからよく知ることができる。」
さらに、
「この実相(存在のありのままの姿=真実)を悟る心からは、柔軟心生じ、それが菩薩の衆生救済の根源ともなる。
そして、実相を知るがゆえに、衆生の虚妄の相を知ることができる。それができれば、真実の慈悲が生まれる。」
と言われる。
 
「≪般若≫は平等の真実を知る智慧であり、≪方便≫は個々の異なった相を見分ける智慧である。」
と先の方便と真実の関係から、真実に導く方法として、智慧と慈悲と方便にまとめ、さらに、この三つを般若にまとめている。
 
つまり、真実から個々の(苦悩の)現象を見分け、個々の異なった現象から真実を知るというダイナミックな働きが浄土のはたらきなのである。