菩薩の仏国土(仏国土として取る)

 
菩薩の仏国土仏国土として取る)
 
 子どもの國の状態を認識し、その子の國を清浄にするには菩薩が必要です。何も教師である必要はありません。尊敬でいる大人、友人、ペット、自然…などを菩薩と言います。菩薩が考えることは、子どもの國を清浄にすることだけです。
 これを教育的に言いかえると、周りの者が、子どもの関係性を、ケアする(いたわり合い、支え合い、学び合う)関係に組み替えるようにすることです。それは、存在として認められることであり、本人に生きる勇気を与えるものとなります。
 
 維摩経で、菩薩の仏国土というわけはここにあるのではないかと思います。ただ、それだけだと多くの菩薩が関われば子どもは救われるのですが、それだと個人的な試みや個人的な力量ということになってしまいます。大乗仏教は菩薩道であり、「私が」という利己的な心や、自分が中心であるということを否定します。
 そうすると、私の國が私の仏国土となり、自己中心的な仏国土となってしまいます。それを乗り越えるのが浄土です。そうすると、菩薩の仏国土を浄土にするから、浄土そのものの「はたらき」が現われてきます。
 もう一つは、子どもも含めた私たちが菩薩であるということです。菩薩の修行の場としての仏国土=浄土が意識されたときに、私たちの行動もまさに二利双行となるのです。