ルールづくりのルールとしての憲法

昨日は、九条の会の定例会があった。
憲法「改正」案を検証した。
その中で、一つ気がついたことがある。
 
憲法は、実際に生活の中で生きているものであり、そうでなければならないということだ。
憲法が、そのように生かされているのか。
九条が実際に生かされているのか。
私たちの生活は政治によって、大なり小なり影響を受けている。
その政治のルールが憲法である。
 
私たちが社会生活をする時にどういうルールをつくり、
そのルールをどう生かしていったら良いのかということはとても大事なことだ。
そのルールの大元が憲法なのだ。
ルールをつくるルールが憲法なのだ。
 
いじめ問題もそのルールの問題につながる。
ルールを守るか(守らせる)どうかではない。
ルールをどう使うか、ルールとは何か、
より良い生活をするためにはどんなルールをつくれば良いのか、
そういう合意をクラスの中につくりだしていくことが、いじめ問題解決の前提なのだ。
 
だから、私たちの生活に憲法をどう生かしているのかは、大事なことなのだ。
もし、生かされていなかったら、憲法はどうでもいいものとなる。
改憲の問題はそれを大前提にしている。