あちこちでいろいろなテーマで議論している。
すると、私の言いたいことが理解されないことにいら立つ。
でも、それは相手も同じではないかと思う。
私は相手の言いたいことが本当にわかっているのだろうかと。
さらに、この議論で何か新しいことが生まれるのだろうかとも考える。
この下の図はあくまで比喩である。
図の二つの点はそれぞれの「思想・信念」だとしよう。
思想信念も動くことを示している。
スタートを押すと、AとBに重力がかかり、別々のポテンシャルのくぼみに落ちる。
(二つに分かれなかったら、右上の⤵をクリックして再度スタートをクリックしてみよう)これが意見が分かれた状態。
このAとBを同じくぼみに入れようとすると、エネルギーが必要となる。
実際に点Aを動かそうと思うと、少しのエネルギーでは山を越えることができない。
直ぐに元に戻ってしまうのだ。
これの現象は、私たちの「衝突・対立」が「相互承認」に至るためには、かなりのエネルギーが必要なことを示している。
そのエネルギーは「告白」であり「赦し」として表現される。
つまり、告白も赦しも相当なポテンシャルとエネルギーを必要とすることがわかる。
おもんみれば、「凡夫の自覚」はこのポテンシャルを低くする働きなのだ。

悩んでいたトイレの水漏れが治ってとてもうれしい。
迷いと悩みは違うけど