「戦争」の反対は「対話」

表題の言葉を友人から聞いた。
普通は「平和」だけど、平和は平穏無事というイメージがある。
だけど「対話」には、そこに「愛の闘争」がある。

ヤスパースの「愛の闘争」は、「真理は二人から始まる」から出発する。
つまり、一人で決断されたことに真理ではない。
そして、その二人の世界像は異なっている。
「誤って世界存在一般として絶対化された個別的な認識の世界」からだ。
私は、いつも私のパートナーを母と見たり祖母と見たり妻と見ることを例としている。
だからこそ、互いを理解し続けようとする、実存と実存との交わりは闘争であり、それは批判やそれぞれの人生を理解する「愛の闘争」である。
さらに、私たちは「ケアを求めながらも、同時に他者と哲学的な対話をしたいと思ってしまう」存在なのだ。

そうすると、誰が言っているのかはとても大事なことになる。
例えば、AIには人生は無い。
つまり、AIとの対話は手軽にできるけど「愛の闘争」ではない

それにしても「対話(愛の闘争)」とはかくも難しいことなのか。
家族の中ですらできない。