3月のプチ法話会「機法一体」

一週間早めたので、知らない方がいて参加者は4名。
でも、皆さんの深い体験のお話が聞けた。

取り上げたテーマは「機法一体能所不二」
以下は全て御文章から。

「南無の二字は、衆生の阿弥陀仏を信ずる機なり」
「阿弥陀仏といふ四つの字のいはれは、阿弥陀如来の衆生をたすけたまえる法なり」
「他力の信心といふはただ南無阿弥陀仏なり」
「南無阿弥陀仏の体はわれらをたすけたまへるすがたぞとこころうべきなり」

 

この頃、阿部信幾師の法話を聞いている。
歎異抄と御文章の対比が面白い。
このことから「領解文」の意味が明らかにされる。
「新しい領解文」の問題点も自ずと明らかになってくる。

ただ、「たのむ」とは「憑む」であって「頼む」ではない。
つい「頼む」と感じてこちら側の仕事と思ってしまう。
でも、現代でも「~をたのむで」という時「任せる」という意味を含んでいる。
「たのむ」は「仏様にお任せする」ということ。


もろもろの雑行ぞうぎょう雑修ざっしゅ自力じりきのこころをふりすてて、 一心いっしん阿弥陀如来あみだにょらいわれらが今度こんど一大事いちだいじ後生ごしょうおんたすけそうらえとたのみもうしてそうろう。たのむ一念いちねんのとき往生おうじょう一定いちじょうおんたすけ治定じじょうとぞんじ、このうえの称名しょうみょうは、ご恩報謝ごおんほうしゃとぞんじよろこびもうしそうろう。このおんことわり聴聞ちょうもんもうしわけそうろうこと、ご開山かいざん聖人しょうにん出世しゅっせのごおん、 次第相承しだいそうじょう善知識ぜんじしきのあさからざるご勧化かんけのごおんと、ありがたくぞんじそうろう。
このうえはさだめおかせらるるおんおきて、一期いちごをかぎりまもりもうすべくそうろう。