雪で源平桃が倒れないように枝を切り落とし細かくした。
幾何の問題はまだ彷徨っている。

以前神仏分離令の古文書を翻刻した時、
郡上におけるその実態はどんなのだろうと興味を持った。
それでこの本を借りてきた。
最初人物と事実関係がつかめずにとっつきにくかったけど、
読んでいるうちにだんだん引き込まれていった。
慶應4年(明治元年)に出された、神仏分離令は石徹白を二分する騒動になった。
それは宝暦の石徹白騒動とよく似ている。
「神仏混淆は御廃止、社僧別当は相ならず社人たる者残らず神葬祭と改めるべき様に」
というお達しが明治元年10月16日に出た。
それを受けて地蔵様を蹴落としたり、「高卒塔波」の庚申様がとり除かれたりし、神葬祭にしなければ違勅になると脅かした。
それに対して、「どうしても大師様(泰澄大師)と真宗に離れ、仏体を焼くようなことにはなりがたい」という人たちが居た。
神葬祭に変えよという人たちと、それはどうしてもできないという人たちで石徹白を二分する5年におよぶ騒動となった。
この本は、この時の反神葬祭(帰農派)の人たちの苦労や思いを記録したものだ。
入牢や所払いを覚悟しながら、毎日のように寄合し、そこで知恵を出し合って行動に移している。
こういう記録を残しておられたということが有難い。
石徹白は古来より除地(租税がかからない所)であって、このことを認めてもらうことと、百姓として租税を払うこととも関連してくる。
政府が「神仏分離令」による神社の上知を行ったのは、その後(明治4年)の藩の上知(廃藩置県)の先駆けであったともいえる。
この「上知」という言葉は「べらぼう」を見ていて、田沼意次が蝦夷の上知と言っていたことで知った。使ってみないと自分の言葉にならない。