証明とわかるコト

今朝、3ヵ月取り組んできた問題が証明できた!わかった!
と思ったら、夕方には問題点が見つかってしまった。
問題点がわかるということは、そこに数学共同体の共通の真理性があるからだ。
一人でやっているけど、「真理性基準のコミュニケーション的理性」が存在している。

さて、わからないから探求する。
わかるコトを求めて探求する。
そこで思ったことは、「わかる=証明=発見=悟る」ということだ。
だから、「わかることの追求」は全てに通じる。

「わかる」というコトは「知る」ことではない。
「腹に落ちるという」身体の体験なのだ。

さて、例の問題は、「Gという点が特別の点だ」ということだ。
具体的には次の図で、常にGJ=JVとなることを示すこと。
これをずっと探求している。

ここまでに分かったことは、円の大きさが異なっても根軸からの接点迄の距離は等しいということ。
ところが、その距離とGまでの距離が常に同じということが自明ではない。
いろいろ試行錯誤して、GJとWLが平行になるという現象が見つかった。
でも、なぜそうなるのかがわからない。自明ではないのだ。


証明の仕方をいくら教えようとしても子どもたちには伝わらない。
それは、「わかる」ということが体感できていないから。
逆に、証明を教えようとしたら、「わかる」という体験をしてもらえば良い
それは、know⇨understand⇨comprehend という流れなのだ。
最後のが「腹に落ちる」ということである。