計算と思考

「計算」って「思考」なのだろうか?

そんな疑問が浮かんできた。
例えば、次の問題を解く時、やはり計算をする。

 この計算をしてみると、
√(4-4a^2)+2a-2=1ーa
       √(4-4a^)=3-3a
両辺を二乗すると、二次方程式が出てくる。
4aー4a^2=9(a^2ー2a+1)
      0=13a^2ー18a+5  これは因数分解できる。
      0=(13aー5)(aー1)
よって、a=5/13,1  (1は問題に当てはまらない)

と答えが自然に求まるけど、この「計算」は「思考」なのだろうか?
もし思考だとすると、具体的なイメージがあるはずだけど、計算は思考しなくても自動的に進んでいく。
この場合の思考とは、「自分自身とかわす内部的対話」としておく。
計算している時は、「こうなるはず」などと対話しているから、思考といえないこともない。だけど、これはコンピュータでも計算できるので、内部的対話とは言い難い。
私自身の感覚から言うと、具体的なイメージができないので、計算は思考とは言い難い。計算で答えを求めても「やった!」という感覚が無いのだ。なのに計算で答えが自動的に出てしまう。
やっぱり不思議だと感じてしまう。

問題がスキルとして解けてしまうことと、発見的に解けることは異なる。
なぜなら、発見的に解けることは喜びを生じるから。
スキルとしての解き方は、計算ドリルと変わらない。

ただ、計算は本来、思考を形式化・技術化・スキル化したもの。
とすると、そこにはやはり思考が入っている。
でも、技術化されているからブラックボックス化されていると言ってもよい。
だから、思考することを忘れていても技術だから答えにたどり着くことができる。
これは「梯子や筏の喩え」で説明ができる。