今日はいろいろあった。
車の修理の依頼、病院、プチ法話会、最後に眼科へ行って手術をしないことになったが本を読むためだけの眼鏡のための処方箋を書いてもらった。
プチ法話会は4名の参加。
死は私だけのもの。食べることも休むことも楽しむことも私だけのもの・・・
つまり自分の体に関わることは代わることができない。
(逆に代われるのは生産に関わることで、消費は極めて個人的なこと)
だから私の人生は私だけのものであって、この広い宇宙で私の体験してきたことは私唯一人。だから、私の見ている世界は私だけのもの。
その極めて個人的な世界と他者の世界との関りはどこにあるのだろうか。
そんな問いから始まった。
乏しい体験のなかから具体的な例を示したが、それは次のアーレントの『人間の条件』の中にある言葉につきる。
「・・・私たちは、ただ、私生活や親密さの中でしか経験できないようなある事柄について語ることがある。この種の事柄は、その内容がどれほど激しいものであろうと、語られるまでは、いかなるリアリティももたない。ところが、今それを口に出して語るたびに、私たちは、それをいわばリアリティを帯びる領域の中に持ち出していることになる。いいかえると私たちが見るものを、やはり同じように見、私たちが聞くものを、やはり同じように聞く他人が存在するおかげで、私たちは世界と私たち自身のリアリティを確信することができるのである。」
アーレントはこういう世界を「公的領域」と呼び、現代ではこれが縮小してしまっていることを憂いている。
法話会の意味がようやく見えてきた。