100分de名著で「フッサール」をやっていました。
フッサールと言えば「現象学」ですが、私はこれを説明する時に次の例を使います。
例えば「UFOは存在するか?」と問うのではなく、「UFOを見たという人がいるのはなぜだろうか?」と問うと、全く異なる答えが返ってくるようなものです。
(応用範囲が広い)
私は子どもに出来るだけ具体的な言葉で問おうと考えていますが、つい抽象的になってしまいます。その時、その問いを自分自身に対して出すと反省することが出来ます。
フッサールはこのような問いを「本質観取」と言っていますが、
これを私の言葉で言い直すと、「名づけ合い」とか「哲学対話」になります。
100分ではそれをもっと簡単に定式化していました。
①問題意識を共有する
②テーマについての多様な体験を出し合う
③体験例の共通項を抜き出す
④〇〇とは何か定義する
とすると、
「どうすれば問題を共有できるのだろうか?」とか
「どういう問いかけをすれば互いの体験に共通のものが出てくるのだろうか?」という課題が浮かび上がります。
相手が子どもの場合は、これらの課題は細心を尽くさなければならないものです。
傷ついた人に対しても同様であろうと感じます。
この問いかけの例を番組で紹介していました。
「教育とは何をすることであって、それはなぜ大切なのか?」
「なぜ人は正義の感覚を持つのか。それはどこに根拠を持っているのか?」
番組ではこういう問いを他者と語り合うといういことを勧めていました。
確かにこれらの問いは、できるだけ多くの人からその体験を聞きたくさせます。
