江戸時代後期の大和剣村の石高と減税について

このデータをエクセルでまとめようと思って取り組んだが、
2週間もかかってしまった。

大和の剣村が藩に不作だから検見をしてほしいと願い出る。
その記録の意味がわからないので、データを取り出してエクセルで分析してみた。
斗代というのは、面積当たりの収穫量で、上中下と別れている。
最初躓いたのが歩という単位。
これは30歩=一畝だから変換しなければならない。

いろいろ計算してみると、ほぼ合っている。
石高はわかったが、税率がわからない。
そこで大和村史を調べてみた。
税率は地域で異なっていることがわかった。

天保の飢饉の時は凶作につきと検見を申し出ている。
306俵=122石の減免となっている。
郡上藩では餓死者は出なかったと言われている。

天保の時は、右側に書いてある不作や大水によって流れてしまった田畠についても、きちんと申し出ている。

こうやって実際に集計計算してみたら、やっと体感できて、斗代や年貢についてわかってきた。