「こころの時代」でやっていた山折哲雄氏の話が何だか心に残っていて、
ついその話をしてしまった。
山折さんは、親鸞さんの「僧に非ず、俗に非ず」を
「何者でもない」「何者にもならない」と解かれていた。
これが心に残ったのである。
そして、同じようなことを宣言した二人の先人のことを取り上げていた。
一人は芭蕉
「僧に似て塵あり、俗に似て髪なし」
何ものにもならなかった芭蕉はまさに遊行の人で、旅で亡くなった。
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」
もう一人は良寛さん
「聖にあらず、俗にもあらず」
良寛さんは一日中子どもたちと遊んでいたという。
私だったら子どもと遊ぶなんて一時間と持たないと言われる。
そこで取り上げられた本来の桃太郎の話は面白かった。
鬼退治は日清日露戦争の後に出てきた話で、元は醜い赤ん坊を老夫婦があずかるという話だったという。
夫婦は醜い赤ん坊を大事に育てあげる。
良寛さんも同じことをしていたのではないかと言われる。
そういう話をしていたら「四住期」を発見(私の中で)した。
学生期:25歳まで
家住期:働いて家庭をつくり、子どもを育てる
林住期:50~75歳
遊行期:歩くこと、行くこと、東に病気の子どもがあれば
それぞれ25年間。これが実に面白い。
林住期は75才までだけど、この言葉から何を思い浮かべるだろうか?
最期が遊行期というのが一番面白い。
イエスは34歳で旅の途中で殺された。
だからキリスト教は「青春の情熱的な宗教」という面を持っている。
釈尊も旅の途中80才で亡くなった。
だからそれぞれの時期の体験というのがその教えの中に反映されている。
85才を過ぎて書かれた親鸞さんの悲嘆述懐和讃を詠うと涙が出てくるのはどうしてだろうかということが少しわかりかけてきた。
私も人生の旅で遊行をしているのだろうか。
買い物に行くのも遊行なのだ。
そして浄土真宗では遊行期の後がある。
それが還相期なのだ。