人生の状況がそのつど出す問いかけ・呼びかけに応答すること、この「応答能力response-ability」としての「責任性responsibility」の意識こそが人生の意味をめぐる問いに解決を与えるものだ。
それは極めて個別具体的であるし、そうであるしかない。
一般抽象的では決してないし、それではそもそも「意味」がない。
「応答責任」と「説明責任」 - 文ちゃんのページ (hatenablog.com)
ただしここで述べられているのは、誰かへの応答責任ではなく、
フランクルの言う人生からの問いに対する私自身の応答責任のこと。
人生から問われていることに応答する責任。
そして、その能力は自己超越によってしか得られない。
今日の永代経はこのことが追求できるかどうか。
無事終えることができた。
蒸し暑い中多くの方が参加してくださった。
孫も一緒に正信偈を唱えていたのを見ていて涙が出てきた。
「かねがたし=かなし」というのは、一人一人の代わることのできない人生を示している。
ススキとシュウメイギクとシオンなどの秋の花で荘厳した。
夜は6歳の誕生会をやった。
私たちからの誕生日のプレゼント。