宮沢賢治の修羅

工事の為に煙突を外した。

放送大学を見ていたら宮沢賢治の童話や詩を紹介していた。
以前から気になっていたのが「春と修羅
この修羅とはだれの事だろうと。

「無声慟哭」を見ると
「わたくしが青ぐらい修羅を歩いてゐるとき」
と書いてあるので賢治自身の自覚だった。

では賢治の「修羅」とは?

法華経の十界論では六道輪廻の説明は次のようになっているという。
輪廻転生は身にしみついた思想であり、さらに科学を志向していた。

修羅 貪瞋痴によって争いをしているもの
畜生 愚かな動物
餓鬼 飢えと欲望の炎に身を焼かれる
地獄 激しい苦しみ

修羅は三毒によって互いに争っている存在。
まさに私たちということだ。
賢治が自分を修羅と自覚していたことも頷ける。

賢治は詩を「心象のスケッチ」と捉えていた。
スケッチをしなければ現象は現れてこないのだ。
だから自分の詩や童話を何度も直している。
書くことのもつ働きを自覚していた。

「無声慟哭」を涙しながら読んだ。

宮沢賢治 『春と修羅』 (aozora.gr.jp)