「老い」について

今日は寺子屋3回目。

子どもたちは夏の友も終わって遊んでばかり。

 

さて、「老い」についていろいろ悩んでいる。

 この二次元図式はとても嫌な図だ。

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Aを目指すのが良いという図だけど、どうしてもCになる人もいる。
Dで何が悪いのかと問うと、税金の無駄使いという答えが返ってくる。
そんなのはいっぱいある。Dを無駄使いというのはこの列島の文化程度を表している。

「老い」は「死」と似ている。
自分自身の経験とは異なるという点で。
老いとは他者の経験であり、自分の老いはなかなか認められない」
この老いという言葉を死に置き換えることができる。
違いは何かを考えてみると面白い。

さて、何を悩んでいるのかというと、自分の老いについては覚悟を決めているのでそんなに悩んでいるわけではない。
むしろ社会的な老いについてだ。

上野千鶴子さんは老化には「生理的」「心理的」「社会的」「文化的」という4つの次元があると言っている。

この心理的・文化的な次元は社会的な次元からきているというところに悩みの根源があるということに気がついてきた。

 多田富雄さんの書かれたものを紹介する。

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リハビリは単なる機能回復ではない。人間の尊厳の回復である

この言葉は、15年前に読んだのだけど、改めて心に刻む。
昨日、元気アップ教室のお手伝いに行って、療法士の方と話し合った。
その時、どうして介護予防をするのかわからないということを話した。
それは、こういうことだったんだ。