ねてもさめてもへだてなく

弥陀大悲の誓願
 ふかく信ぜんひとはみな
 ねてもさめてもへだてなく
 南無阿弥陀仏をとなうべし

大峰師が「寝ているときは称えられない。これは大変な問題だ」と提起されています。
そして、寝ているときも一つのことを考え続ける場合の例を挙げられています。

子どもの病気のことが心配でそのことが頭から離れない人は、寝ても覚めても子どものことを考えている。
恋をしたときに、寝ても覚めてもその人のことを思っている。
数学の問題を寝ても覚めても考えている。でないと応え(答え)はやってこない。

私が寝ているときも阿弥陀様は私のことを思い続けておられる。

だから私たちもこの例のように寝ても覚めても称えるということでなくてならない。
そうでなければ、ご恩がわかっていないということだと。