学而

高橋源一郎さんの「一億三千万人のための『論語』教室」も借りていた。

以前、安富歩さんの学而も書いたことがある。どこだったか。

その学而編

学んで時に之を習う。亦た悦ばしからずや。

朋あり、遠方より来る、亦た楽しからずや。

人知らずして慍(いきど)おらず、亦た君子ならずや。

 この3つの文が関連している。
高橋さんは習を温習会としている。
温習会とはおさらい会のことで、孔子の学校で弟子たちが議論することをいう。
一人で学ぶのでは悦ばしくない、みんなで議論しながらワイワイやるのは悦ばしい。
だから朋が遠方よりやってくるのは楽しいのだ。
でも、人と会っていても、自分のことをどう思っているのか気になる。
その時に自分のことをわかってもらえなくても憤らないのがいいなあ。
とこんな感じ。

ここは学びの集団性を示している。
そもそも学びは集団的なものなのだ。
孔子の弟子たちの学習集団そのものが開かれた知を持っているのだ。
そして、何よりもみんなで学んでいると、はっと気が付くことがある。
ほかの人の意見を聞いていて、そうだったんだと感じた時、悦びがこみあげてくる。

有子曰く、礼をこれ用うるには、和を貴しと為す。先王の道も斯を美と為せり。小大に之に由らば行われざる所あればなり。和を知りて和するも、礼を以て之を節せざれば、亦行うべからざるなり。

礼はルールで、和はみんなで歩み寄ること。
和をもって貴しとなすには、礼(ルール)が切り離せないのだ。

高橋さんは20年間論語を読み続けてきたという。

入院前に済ませておかなければならないことで忙しい。