報恩講と鷲狩り伝説パネルディスカッション

午前中報恩講と片付け。昼から孫とサツマイモ掘り。さらに鷲狩り伝説パネルディスカッションに参加。

さすがに疲れた。

このパネルディスカッションは、「農泊シンポジュウム」に代わるもので
本来は講師は他県在住の方だったけど、日程がつかないので代わりに私たちがパネルディスカッションをすることになったもの。

時間が足りなくて、半分ぐらいしか語ってないけど、司会者の井上さんが見事に進めてくれて楽しい会となった。(と私は思っている)

いろいろ聞いていて気が付いたことがある。それは、資料に書いてあることをつい事実と考えてしまうことである。それは事実か事実でないかととらえてしまうことになる。
(私自身も同じ)でも、司会の井上さんが「歴史というのは物語であって、物語は様々な人の思いから創られるもの」だと語られた。

事実か事実でないかという割り切り方は、単純すぎて面白くない。
事実ではないけど、そこからどんなことがわかってくるかと考えたときに、いろいろなことが見えてくる。
そして、その場(かなり多くの方が参加されていた)という雰囲気に浸ったときにまた新しい視点が生じてくる。

今朝トイレの中で、「石高がはっきりと書いてあるけど、その石高はだれが求めたんだ」と疑問が浮かんできた。
伝説には「美濃国あ(く)たみ庄内川西川東永代知行千六百二拾三石下され」とある。
この「知行」とはいつ頃から使われたのか?
その実態は何か?
石高が書いてあるけど、それは太閤検地からではなかったか。
江戸時代の鷲見郷八ケ村の合計石高はいくつだろうか?
・・・

そうやって学びの世界が広がっていく。

これが楽しいのだ。