「出会い」とは縁起

左目の周りの腫れがますますひどくなっている。
このブログを書くために瞼を力を入れて吊り上げなければならない。

昨日は、全生研の基調提案を読み、ZOOM学習会に参加することを決めた。

そう思ったのは、面白いと思ったからだ。
この基調の中に現状の厳しさや苦しさの中に「生きるストーリー」があらわされているからだ。だから実践は記録は物語だと感じてきたし、だからどんな苦しい実践でもそこに希望があるから面白いのだ。

ただ、この基調提案と「出会える」かどうか。
私の場合はMLでいろいろ質問が出ていて、それを読んでいたら興味が出てきて、ZOOM学習会をやるというので読んでみようと思ったからだ。

「出会う」とはどういうことだろうか。
新聞を読んでいると様々なニュースにあふれている。
そのニュースを読んでも出会ったことにはならない。
二つの例を取り上げる。

(1) 太平洋戦争で日本の軍人・軍属の戦死で最も多い原因は何か?

こんな問いを出していた記事があった。
戦死というけど、いろいろあるよな、船と一緒に沈むのだってあるし、弾に当たって死ぬのだってあるし・・・・と想像する。
戦死と戦没はどう違うんだ、そもそも戦没した人は何人で、そのうち軍人・軍属は何人で、どこでどうやって亡くなったんだ・・・

(2) BLMの運動の記事の中でこんなのがあった。

すべての人は平等に造られ、生命、自由、幸福の追求を天賦の権利として有する」
というUSAの独立宣言を起草したのはジェファーソンであることは知っていた。

ジェファーソンは、この「すべての人」に黒人が含まれることを想像すらできなかったという。そうすると、BLMの運動の根深い意味も見えてくる。

「出会い」を「当事者性」と考えたのが昨年の基調提案だった。
今回は「出会い」を「物語」と考えている。