新聞の整理と再入院

新聞を読む時間がないことに気が付く。

新聞がたまっている。
読まなくてはと思うけど、手に取ろうと思わない。
そもそも新聞を読めなくなっている。
面白そうな記事は線を引きながら読まないと理解できないので、破りとっている。

退院した孫が症状が良くないため再度入院。
外でいっぱい遊びたいのに、ベッドに囲われてしまいかわいそうでならない。
新型コロナの影響で、病室まで行けない。
エレベーターで別れるとき、「じい、ばあ」と手を伸ばしてぐずった時には、こちらも泣いてしまった。これを書きながら涙が出てくる。

新聞の記事は面白そうなことを指示してくれる。
でも、その面白そうなことの答えが書いてあるわけではない。
やはり自分で調べ、自分で考えるしかないのだ。
その意味で新聞を読むことは、世界を見ることだと思う。
でも、世界を見たいと思いながら、その世界がぼんやりとしている。

わからないことばかりなのだ。