今日は可茂で会議があった。
最近の情勢の報告を一人ひとりにしてもらった時が一番面白かった。
その中で、学校で「これは伝統だから」と言われて、子どもたちに説明できない習慣があるという話が出た。
子どもたちに説明できないばかりか、教師も納得できない理不尽なもの。
でも、理由を尋ねると、「これは伝統だから」となる。
「伝統って何でしょうね?」
という問いかけから一気に話題が広がった。
この「伝統問題」について面白かったので聞いたことを記しておく。
「伝統」という言葉や概念はこの列島に本来無く、明治の半ばを過ぎてから英語のTraditionを翻訳した言葉として使われるようになった。
それも「系統をうけ伝える」意で新たに造られた近代の言葉(概念)である。
ところが、この言葉は精神的在り方として使われるようになり、やがて後から作られたシステムも少し経てば「伝統」となり、その時その時に都合の良いように取り入れられたものにも「伝統だから」と使われるようになった。(この経緯自体が面白い歴史)
その中には、必要なものと必要ではないものがある。
それをどう区別するのか。
その区別の仕方は、もしその「伝統」が失われようとした時に、これは守らねばという気持ちになるモノであるかどうか。
守らねばと思う気持ちとは愛着があるかどうかだ。
それは、その「伝統」の中で「心地よかった」という感覚があること。
つまり、その「伝統」から何かしら贈り物をもらっていたと感じること。
そうすると、当然今までのギフト(贈り物)に応えようとする。
例えば、伝統芸能を伝えることも、その技を身につける厳しさに耐えれるのは、
やって良かった(贈り物がある)と思うからだし、だから次に伝えていこうとする。
ただ、(伝統だと言って)贈り物が無いのに有るかのように思わされたり、
(体罰のように)「贈り物のこと」を考えなくなっているという現状がある。
それは、私たちの身の回りに多くあるのではないか。
私は寺から大きな贈り物をもらっている。
仏教の経済学 ( お布施=給与? ・PDFファイル)