2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧

台風とアオマツムシ

台風のために、東京(埼玉)から早めに帰ってきた。 台風対策をすませて待っていたが、幸いなことに風はあまり吹かなかった。 太平洋側は風雨ともに大変だとニュースでやっていた。 庭に出てみると、この雨の中でアオマツムシの鳴き声が聞こえる。 桜の木の…

貪瞋痴の三毒(三塗)

『「痴呆老人」は何を見ているか』大井玄 著 より 鎌倉時代や江戸時代ではなく、現代ではどうでしょうか。 現代では、歳をとることの中に「痴呆」になるのではないかという恐れがあるのです。 では、「痴呆」になることの恐怖は、どこから起こるのでしょう…

歳をとること・死ぬこと・生きること

A.長生きすることは、楽しみや益が多い。 B.長生きは恥が多い。 どちらも真実をついているだろう。 ただ、Bは何も長生きをした人に限ったことではない。 私の若いころは恥のかきどおしだった。 Aのためには、 日々の学びが無くてはならない。 それは、…

吉田兼好の徒然草

三日前に、貝原益軒の養生訓を紹介した。 それと全く逆の考え方を紹介しよう。 吉田兼好の徒然草である。 『あかず惜しいと思わば、千年を過ぐすとも、一夜の夢の心地こそせめ、 住み果てぬ世に、醜き姿を待ち得て何かわせむ。 命長ければ恥多し。長くとも、…

ブラックボックスからアフォーダンスへ

ブラックボックスとは関数のイメージ化である。 働きかけた結果が出力され、その結果その対象の性質や働きがわかるというもの。 それに対して、アフォーダンスは、環境の方が動物(人)に与える「意味」そのもの。 環境は様々な情報をすでに発信している。 …

言葉の不思議

1、問曰(問うて曰く) 第一問 ホテルの一室で、男が殺されていた。部屋のドアや窓はすべて内側から鍵がかけられていた。男の手には拳銃が握られており、胸元にはバラの花が置いてあった。さて、男の死は自殺か他殺か。 第二問 2、応曰(応えて曰く) 第…

日々にいまだ知らざる事をしり

貝原益軒の養生訓に 「長生きすれば、楽しみ多く益多し。 日々にいまだ知らざる事をしり、月々にいまだ能くせざる事をよくす。 この故に学問の長進することも、知識の明達なることも、長生きせざれば得がたし。」 と書いてある。 江戸時代のことだから、長…

六七日

六七日(むなのか)と読む。 七日毎のお参りは、 時の経つのが早いこと 個人を偲ぶこと 遺族のケア など、さまざまな意味があるのだろう。 もう六七日なのだ。 本堂で読経していると寒いと感じる。 親父は寒くて足が痛いと、コタツを要求した。 この間まで、…

三平方の定理の発見における「多チャンネル授業」

昨日は、老母と一日中病院で検査。 朝の9:30から夜の7:00まで、昼食も食べる暇もなかった。 検査をされる老母は疲れただろうが、私のことばかり心配していた。 私は、ひたすら読書をしていたので、よく読むことができた。 そのおかげかどうかわから…

「しなやかな知識社会」をめざして

「江戸の天才数学者」を読んでの感想 グローバルな時代における、偏狭な閉鎖主義でもなく、無分別な西洋崇拝にも陥らない。 和算家たちの生き方の中に、「しなやかな知識社会」を創造する可能性がある。 [その特徴] ①独自に発展させる ②秘密にしない ③教え…

気がかりなことと書くこと

ここ数日、いろいろなことがあって、混乱している。 それが一つではない。 どうでもいいことだけを書いておく。 前のパソコンが時々フリーズするようになったので、 (XPで頑張っていたのだが・・・) 新しいパソコンを購入した。 これに古いパソコンのデー…

煙突掃除

薪ストーブの煙突の掃除をした。 毎年一回やっていて、今年でもう5回目。 毎回苦労するが、工夫して、進化している。 最初は、ブラシが曲がっているところを通らなかった。 そこで、チムニーボールを、昨年自作してやってみた。 ところが去年はそれが転がっ…

九条の会 東海ブロック交流会

今日、疲れていましたが、名古屋まで行きました。 「行ってよかった!」というのが正直な感想です。 現状の大変さと、切羽詰った状況が一方にあり、 講師の渡辺治さんは、その状況がどういうものか どんなに大変な状況になっているのか語られました。 題して…

障子の太鼓張り

障子の紙をはがして貼りなおした。 これからは、寒くなるのでその対策として、 太鼓張りというのを試みた。 これは、障子の裏と表に太鼓の皮のように紙を張るのである。 時間と手間は2倍かかるが、防熱防寒の効果はそれ以上である。 二十窓の障子版で、中の…

ルールづくりのルールとしての憲法

昨日は、九条の会の定例会があった。 憲法「改正」案を検証した。 その中で、一つ気がついたことがある。 憲法は、実際に生活の中で生きているものであり、そうでなければならないということだ。 現憲法が、そのように生かされているのか。 九条が実際に生か…

東井義雄先生はほんものの教師になれるのか(5)

「教える教育」の否定は、教えることを否定しているわけではない。東井さんは「教える教育の限界」と書いていて、否定しているわけではない。実際に、作文的教育法」(学習帳)による子どもたちの学力をつける実践など、どんどん教えている。とすると、東井…

東井義雄先生はほんものの教師になれるのか(4)

東井さんが、「教える教育」=「自力の教育」と考えて否定し、 「そのまま抱きとる教育」=「他力の教育」と考えていたとしたら、「物指し」はもう一つあったことになる。 「自力から他力へ」そして、「凡夫の自覚から他力へ」という浄土真宗の「物指し」で…

東井義雄先生はほんものの教師になれるのか(3)

わたしたちの教育実践は、関係性の中で成り立っているので、 そもそも教師一人の力で成り立つようなものではない。 しかし、そこにはたらく力がどのようなものであるのかを知っておくことは、 実践においは重要である。 わたしはそれを「弱さを自覚した柔ら…

東井義雄先生はほんものの教師になれるのか(2)

この実践にはいくつか質問してみたいことがある。 (1)M君に友だちがいないという原因と思われる「社会性に欠けたところ」はどこからきたものなのか? (2)M君と誰かを結びつける努力はなされなかったのだろうか? (3)東井さんからの手紙に対してM君はどう…

東井義雄先生はほんものの教師になれるのか(1)

東井さんは、 ――――――――――――――――――――――――――― 「ほんもの」でないものが、「ほんもの」でない自分に対して言わなければならないことを、わたしたちは、教師顔して、他人に言いつづけてきた、そこに、私たちの長い間の誤謬があったのではないか。 ―――――――――――――…

行と公案

「真宗に行はありますか」と聞かれた金子大栄師は、 「行のない仏教はないでしょう。日常生活が行です。洗濯するのも。ご飯を炊くのも、商売するのも、仕事をするのも、念仏において行になるのです」 「禅の公案のようなものはありますか」 「はい、あります…

永代経とお迎え現象

昨夜の雷で完全な寝不足。 お経の途中で、朦朧となり、順番を間違えてしまった。 今日の法話で、「お迎え現象」の話が反響が大きかった。 昼食の時間に、何人もの方が、ご自分の体験を話しにみえた。 その話を分類すると、 一つは、子どもが亡くなった方を自…

永代経

明日は、秋の永代経がある。 今日は、その準備で一日が終わってしまった。 内容と法話と昼食などの準備である。 一応テーマを考えて、全体の流れを組み立てる。 テーマは、「死と再生」 いつものお土産は、正信偈の現代語訳。 差定で説明をする。 御文章も法…

生と死の物語

今まで、無常感からの死のとらえをしていた。 そうではなく、生死の境からの生のとらえ方ができないものか。 自己肯定感はどこからくるのか。 それは、死を意識したところから生まれてくるものではないか。 死とは自己否定である。 自己の無力の自覚である。…

郡上・九条の会

疲れきってしまった。 ブログを書くことすら考えられなくなった。 でも、何かしていないと落ち着かない。 今日は、「郡上・九条の会」のMLの招待状を出した。 私がわかっている賛同者への招待状である。 会が結成されてからもう7年も経つ。 いろいろな取…

豊かな記憶の海の中へ

もう9月。 しかし、暑い。 8月は忙しかった。 中身が濃密だっただけに、長かったような短かったような1ヶ月だった。 暑さのせいか、体調も良くない。 特に眠れないのが良くないということで、 昨日、病院で睡眠導入剤をもらってきた。 昨日は各務ヶ原の病…