高鷲古文書読ままい会

久しぶりの古文書読ままい会

6名の方の参加+1
白山禅頂御本地垂迹の伝記の続きを読む。
わからないところだらけだけど、皆さんの知恵で少しづつ明らかになっていく。

白山神社主祭神イザナミであることは高鷲の白山社の特徴でもあるけど、
荘川一色の白山社も主祭神イザナミで、脇が大国主イザナギだと教えてもらった。
イザナミは黄泉の国の主であるから、白山は魂の往くところ、補陀落山、蓬莱山、さらに浄土と捉えられていたのかもしれない。古事記ではククリヒメはイザナミイザナギをつなぐ役目をしている。

あと、長龍泉とか瑞龍泉とかの林泉が出てくる。
そして、頂上の湖の水など水神を大事にしているのは、白山が水の恵みをもたらしていることを知っているからではないかという意見もなるほどと感じた。
そういえば、信長の弟が兄の見舞いに白山の水を持って来たことを思い出した。

さらに新しい本の編集について話し合った。

指を使って計算する方法

今日の寺子屋は女の子ばかりの5人。

足し算と掛け算を苦労してやっていた。
見ていると、足し算を指を使ってやっていた。
そこで7+8を指で簡単にやる方法を伝える。
7は片手と2本指。8を足すと・・・

九の段の九九は苦手で9×7を忘れたという。
先生は九七はそもそも覚えていないよ。
七九は覚えているけどね。
実は9の段は両手の指を折るだけで簡単にやることができるんだ。


次に7×8も忘れたという。
これは線引き掛け算を教えた。

そうやっていろいろマスターしながら1ページの問題をやり終えて花丸。
指使いも大切なのだ。
ただし片手ではなく両手をしっかりと使うこと。

昼からは網戸の張替え。
夜は頼母子。

寺子屋・プチ法話会・オンライン講座

昨日は充実していた。

午前中は寺子屋、6年生二人だけだったけど内容は濃かった。
算数を克服するコツその一
間違っても消さない。
例えば、36÷3で次のように間違えたとする。
8で割ってしまったのだ。

でも、消さないで右の様にする。
ちゃんと割れるので、8+4=12と答えが出てくる。
子どもたちは感心していた。
そして、その二
算数は難しいことを考える教科ではなく、難しいことを簡単にする教科。
このことを示すために「ハノイの塔」を取り上げた。
このハノイの塔はなかなか奥が深い。

まず自分でつぶやきながらやってみる。
あ、間違った」というつぶやきをほめる。
こうするとおかしいから、こちら
だんだんうまくなる。
大体できるようになったら、回数を数える。
その回数を表にする。
その表から5枚の時の回数を予測する。
見事に法則を見つけて予測。
本当にそうなるのか確かめる。
ピッタリあっていた時に喜んだのはもちろん。


プチ法話会は5名の方の参加で「大経の二回目」
法蔵菩薩が世自在王仏と出会い、悩み苦しむ全ての人を救うにはどうしたらよいのか
と考える。そして、仏に教えてほしいと尋ねる。ところが仏は自分で考えよと云う。
法蔵は自分で考えたのでは狭い考えで知れている。とても全ての人を救う考えは出てこない。だから多くの仏の考えを知りたいと語り、仏もそれを受け入れる。
これらは一つの物語なのだ。そして、真実は物語でないと伝わらない。
例えば、歴史年表を見て、何が起きたのかを覚えようと思っても覚えることができない。そのときに起こった出来事を物語にしないと伝わってこないのだ。

そして、四十八願を説明。
ここまでで一時間かかってしまった。

夜はオンラインの講座。
これも面白かった。
疑問が次から次へと出てきたけど、一晩経ったら「個別具体性の中にこそ集団的全体性が現われてくる」ということに落ち着いた。

 



潜以、竊以、窃以

図書館で「白山信仰史料集」上村俊邦著を借りてきた。

というのは「白山禅頂御本地垂跡之由来伝記」を調べるためである。
実は最初の部分を私はこう読んでいた。
「潜以=ひそかにもって、」
ところが資料集は
竊以を「ひそかにおもんみれば」と読んでいた。

これを見て思い出したのが御開山の本典の総序の文章である。

竊(窃)以                               ひそかにおもんみれば、
難思弘誓度難度海大船             難思の弘誓は難度海を度する大船、
無礙光明破無明闇恵日             無碍の光明は無明の闇を破する恵日なり。

竊の略字が窃。(窃盗などで使われる)
あまり原文では読まないのでうっかりしていた。
自分の不明を恥じるばかり。

御開山は御自身の著述をこうとらえておられた。

自らの思慮分別を超えたさとりの領域を、私なりに考えてみると

「以て」は「よって思う」ということだと感じる。
「私に働きかけるコトバの働きによって考えさせていただくと」
それは仏の言葉であり先師の言葉なのだ。
そういうことを感じる。

この言葉「竊以」は弘法大師や善導大師も用いておられるという。
善導大師の言葉

ひそかにおもんみれば、真如広大にして五乗もその辺を測らず。
法性深高にして十聖もその際を窮むることなし。
真如の体量、量性、蠢々の心を出でず。法性無辺なり。

 

寺子屋一回目

今年初めての寺子屋。7名の参加。
1年生2名、4年生2名、6年生3名。初参加1名。

それぞれ目標を決めて取り組んでいた。
6年生には空気の重さとハノイの塔をやってみた。
ハノイの塔はつぶやいてやると算数が得意になると言って、
つぶやきながらやる練習をした。
慣れないので、「こうして、こうして」だけになっていたが、「これおかしい」とつぶやいたので大きくほめた。
これをスラスラつぶやけるようになると算数が得意になるのはなぜか
という話もアルゴリズムという言葉を使って6年生には話した。

四年生の漢字がわからないというので、聞いたら私もわからなかった。
涙がほほをつたう⇒つたう=(  )う。
こんな難しいことをやっているんだと感心。

暑くなったので11時から図書館に避難。
図書館で紙芝居とマジックをやった。

寺では何も言わないのに6年生が1年生をマンツーマンでついて教えていた。
一年生がカルタをやりたいというのでみんなでやった。
11時半で終了。
明日はさんさんハウスの子ども食堂の手伝いをするという。

奈桜さんの生涯

TVの番組のニュースで取り上げられたのをいくつか見ただけだけで、
詳細はわからないが、奈桜さんの7年の人生とは何であったのかと思う。

番組では奈桜さんの死をなぜ防げなかったのか
→虐待をなぜ防げなかったのか
→児相の対応は良かったのか
ということを追求していたように思う。

虐待をしてしまう親のこと、この家族の問題は今はわからない。
だから、番組では「児相の対応」を問題にしていた。
児相は一時預かりを何度もしている。精一杯の対応をしていたように感じる。

「お母さんの所へ帰りたい」と言ったという奈桜さんの気持ちは良くわかる。
児相がいろいろな判断から帰したというのも理解できる。
問題は、なぜ虐待を繰り返すのか、この家族へのケアが本質なのだ。
でも、これについてはそんなゆとりは児相にも学校にも到底無いように感じる。

児童虐待相談対応件数22万件
いじめ69万件
暴行行為9万5千件
不登校30万人

こういう現実の中で児相(や学校)がどんな状況にあるのかは容易に想像できる。
でも、こうやって数値だけを並べると単なる数値となり抽象化されてしまう。
この数値の裏に奈桜さんのようにひとつひとつの具体例や個別例がある筈なのだ。
それを想像してみるとそれぞれの「家族の困難さ」が見えてくる。
そして「貧困の問題」が。

虐待やハラスメントや不登校の問題は「家族の問題」と考えられているが、
そうではなく「私たちの問題」なのだ。
でもそうはいっても私たちにそんな「ちから」はない。
「自分の家族」の問題でも手に余っている。
だからこそ助けが必要なのだ。

それにしても「虐待」をしてしまうのはなぜだろうか。
虐待と躾は表裏一体である。(ハラスメントも同根)
虐待をする大抵の親は躾をしていると言う。
それはなぜか。

児童虐待防止法制度 | 子ども虐待について | オレンジリボン運動 - 子ども虐待防止 (orangeribbon.jp)

「城から歴史を考える」

表題の講演会を聞いてきた。
それにしても千田先生の話と内容の構成がとても面白かった。
城についてはなかなか奥が深く、知らなかったこともたくさんあった。

いくつかまとめてみると

①八幡城には尾根の方に堀切などがあるし、枡形に注目するべき
 枡形は八幡城には3か所ある
天守台と天守は異なり天守曲輪がある
 天守台から天守の規模を想定できない(八幡城はやや大きい?)
天守畿内で出来て、天守で古今伝授が行われた記録がある
 安土城が最初ではない
④したがって天守は当初は御殿であった(金閣のイメージ)
 岐阜城天守はどうなっていたのだろうか
⑤本丸と天守の連携は山城における館とつけ城の形式を連想させる(私の感想)
 この形式は家康が好きだった
小牧山城は山城であったが、城下町が整備されていた(豊織系城下町プラン)
 八幡の「うなぎの寝床」の造りは小牧山城下から始まった短冊形地割(両側町)
 奈良の都のような正方形だと真ん中に空間ができるので長方形にした方が合理的
 秀吉は小牧山城下の地割を京の町にも強制したので、京も長方形になった
⑦篠脇城の畝状竪堀群は日本全国どころかヨーロッパにもある
 だから特に北陸朝倉の特徴と考えなくても良いのでは
 畝の先はとがっていて歩けない
 畝状竪堀は土で作った城の究極の形
⑧視覚障がい者に説明するための工夫も大事